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篠崎 五郎(しのざき ごろう、1848年(弘化4年12月)〔『新編日本の歴代知事』916頁。〕 - 1909年(明治42年)8月15日〔『明治過去帳』新訂初版、1123頁。〕)は、幕末の薩摩藩士、明治期の内務・警察官僚。官選県知事。 ==経歴== 薩摩藩士の家に生まれる〔。戊辰戦争において奥羽鎮撫使護衛として従軍し、羽州各地に伝令使として転戦した〔「篠崎五郎特旨叙位ノ件」〕。 明治5年(1872年)、警視に任官。その後検事、鎮台二等大尉を歴任。1874年、台湾出兵に徴集隊指揮副長として従軍。1875年、宮崎県十三等出仕となる。以後、兵庫県二等警部、同一等警部、兵庫県少書記官、同大書記官などを歴任〔。 1885年4月、新潟県令に就任。1886年7月、地方官官制改正に伴い同県知事となる。当時、新潟県は全国一の町村数であったため、市制・町村制の施行に向けて「市町村制実施取調委員」を設け、町村数削減に尽力した〔『新編日本の歴代知事』399頁。〕。1889年12月26日、知事を非職となる〔『官報』第1951号、明治22年12月27日。〕。1891年4月、島根県知事に就任〔『新編日本の歴代知事』780頁。〕。1893年3月21日、知事を非職となる〔『官報』第2915号、明治26年3月22日。〕。1898年1月、愛媛県知事に就任〔。道路橋梁等が前年度の風水害で大きな被害を受けたため、予算編成ではそれらの大規模改修に重点を置き、新規事業は見送った。同年12月22日、依願免本官となり退官した〔『官報』第4646号、明治31年12月23日。〕。 その後、牛尾金山会社長となった。1909年8月、鹿児島湾桜島温泉で病死した〔。 なお、薩摩琵琶の振興に尽力した〔『幕末維新大人名事典』上巻、628頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「篠崎五郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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