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篠田 悌二郎(しのだ ていじろう、1899年(明治32年)7月27日 - 1986年(昭和61年)4月21日)は日本の俳人。本名は篠田悌次郎。 ==略歴== 東京市小石川区(現在の文京区)生まれ。本名の悌次郎とは篠田家とかかわりが深かった会津藩の儒学者、秋月悌次郎に肖り、名付けられた名前である。号は悌二郎であるが、別号としてていじろ、春蝉(しゅんせん)、桔梗亭がある。 大正13年(1924年)から三越に勤務する傍ら、水原秋桜子に師事した。秋桜子が『ホトトギス』を脱会した際にも彼に付いていき、『馬酔木』の前身である『破魔弓』に投句を行い、右に出る者はいないと言われるほど高い評価を浴びた。その『馬酔木』には昭和37年(1962年)の脱会まで長い間籍を置くことになる。 また、1936年には『軽鴨』を創刊し主宰となり、更に1946年には『野火』を創刊、主宰となり、氏の活動の拠点となっていった。 1986年4月21日、没。享年86。 『野火』を創刊、主宰となり、氏の活動の拠点となっていった。 1986年4月21日、没。享年86。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「篠田悌二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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