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篠田正浩[しのだ まさひろ]
篠田 正浩 (しのだ まさひろ、1931年3月9日 - ) は、日本の映画監督。株式会社表現社代表取締役、早稲田大学特命教授、日本中国文化交流協会代表理事、城西国際大学メディア学部客員教授〔城西国際大学メディア学部 教授陣 〕。 == 経歴 == 1931年3月9日、岐阜県岐阜市で生まれた〔。岐阜県立加納高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部に進学〔。卒業後、松竹に入社した〔。 1960年代にかけて大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれた〔勝田友己によるインタビュー、山田洋次「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (4)」 『毎日新聞』 2010年1月25日、13版、5面。〕。早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、篠田は松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになり、翌1967年に独立プロダクションの表現社を設立した。前衛的作品も辞さない大島や吉田に比べ、篠田は平易なサービス精神も持ち合わせており、独立後の60年代後半から70年代前半は『心中天網島』(1969年)や『無頼漢』(1970年)などの先鋭的な作品を独立プロから連発したが、70年代後半からは『はなれ瞽女おりん』(1977年)や『鑓の権三』(1986年)などの大手映画会社配給の大作が多い。1990年、『少年時代』で第14回日本アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞。カンヌ国際映画祭のコンペティション部門へは『写楽』(1995年)など3度の出品を果たした。2003年、大作『スパイ・ゾルゲ』を最後に映画監督からの引退を発表した。 また、1986年から1987年のTBS系列番組『日本が知りたい』ではキャスターも務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「篠田正浩」の詳細全文を読む
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