|
簗瀬 三左衛門 (やなせ さんざえもん、生没年不詳)は、江戸時代幕末期の会津藩家老。 == 略歴 == 柳瀬家は、代々奥州会津藩家老を務める名門で、自身も家老職を務め、松平容敬の代から藩を支えた。 1862年6月、容保の京都守護職就任を前に、家老職を退き隠居。 1868年の会津戦争においては鶴ヶ城に入って篭城戦に参加したといわれ、家老・西郷頼母が城を去る際は、頼母を引き止めたが丁重に断られたという。 戦後は、転封先の奥州斗南に移り、斗南藩解散後は北海道に渡った。その後は上京し、横山家で過ごしたという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「簗瀬三左衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|