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米倉 涼子(よねくら りょうこ、1975年8月1日 - )は、日本の女優、ファッションモデル。 神奈川県横浜市出身。オスカープロモーション所属。 == 経歴 == 横浜市立南希望が丘中学校を経て、神奈川県立旭高等学校卒業。 5歳からの15年間、クラシックバレエを続けていた。小学3年生からは牧阿佐美バレヱ団のジュニアスクールに通い、その後AMスチューデンツに合格、谷桃子バレエ団にも通ってコンクールにも出場した〔週刊文春 2004年10月14日号『阿川佐和子のこの人に会いたい』(148-152ページ)より。〕〔週刊文春でレオタード姿を披露したことがある。〕。高校生の時、友だちがコンテストに応募してくれたのがきっかけで〔米倉涼子さん(2/3) - インタビュー - ひと 、どらく。〕、第6回全日本国民的美少女コンテストの審査員特別賞を受賞〔『日刊スポーツ』平成4年(1992年)8月21日付22面。同期にグランプリを受賞した佐藤藍子がいる〕、翌年モデルとしてデビューし、ファッション雑誌 『CanCam』(小学館)などに掲載された。 1999年6月30日、「女優宣言」を発表。以後は女優として、いわゆるトレンディードラマを中心に活動する。女優に転じた際には誰かのようになりたいとは考えていなかったが〔米倉涼子さん 「誰かみたいになりたいと思ったこと、ないんです」 〕、ドラマ『非婚家族』で共演、芝居を教えてくれた真田広之の姿を目の当たりにして、「真田広之のような芝居が好きな役者になりたい」と決意する〔。「米倉と松本清張の3部作」である『黒革の手帖』、『松本清張 けものみち』、『松本清張 わるいやつら』では悪女役を演じて役柄を広げ〔米倉涼子主演“松本清張3部作”最終章がスタート 、ORICON STYLE、2007年01月18日。〕、2006年秋には『黒革の手帖』の舞台版で本人念願の舞台を公演した〔米倉涼子インタビュー&動画コメント掲載!!『黒革の手帖』特集 〕。 2008年には『CHICAGO』の日本版でミュージカルに初挑戦した。米倉はブロードウェイで鑑賞したこの作品に魅了され、日本版の構想を聞きつけると自ら売り込んで主役を得た〔(題名は原文ママ)〕。それまで本格的な歌を披露した経験はなかったが〔米倉涼子“念願”ミュージカル初挑戦 〕、主役をこなし、月刊誌『ミュージカル』が選んだ「2008年ミュージカルベストテン」の女優部門で7位に入った〔「1位は「スカーレット ピンパーネル」 08年ミュージカル・ベスト10」『毎日新聞』2009年(平成21年)2月10日付夕刊5面。〕。2010年にも同作品を再演、この頃からブロードウェイ進出を考え始め、2011年には渡米して三ヶ月間ジャズダンスやバレエのレッスンを受けた。2012年7月には『CHICAGO』でブロードウェイで主演デビュー〔米倉涼子、念願のブロードウェイで主演デビュー! 涙浮かべ会見 、oricon career、2012年3月15日。〕。日本人女優がアジア系でないアメリカ人の役柄を演じるのはブロードウェー史上初で、アジア出身の俳優としても初めて〔米倉涼子:ブロードウェーデビュー決定 「とにかくうれしい」と歓喜の涙 、まんたんウェブ、2012年3月15日。〕。同年10月から主演を演じる『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』シリーズは、最高視聴率27.4%を記録するなど人気シリーズとなっている。 2014年12月26日、2歳年下の一般人男性と入籍したことを所属事務所を通じて発表した〔米倉涼子が電撃結婚!お相手は2歳年下の会社経営男性 スポーツニッポン 2014年12月26日。 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米倉涼子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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