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日本人戦争捕虜尋問レポート No.49とは、1944年9月にアメリカ合衆国の諜報機関・合衆国戦争情報局(United States Office of War Information)の心理作戦班がインドアッサム州のレドで慰安婦に尋問を行い作成した旧日本軍慰安所・慰安婦に関する報告書である。日本による朝鮮人慰安婦の募集の方法や、生活状況、日本軍人との関係についての報告が述べられている。 米国立公文書館に所蔵され1973年に公開された〔産経新聞2007年5月18日〕。原文のコピーは日本政府による1992年から93年までの調査結果として「アジア女性基金」で公開されている〔政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料 アジア女性基金〕。 == 概要 == インド・ビルマ戦域(:en:China Burma India Theater)のアメリカ陸軍所属のアメリカ合衆国戦争情報局(:en:United States Office of War Information,略称OWI)の心理作戦班は、1944年10月1日付けで、戦争捕虜となった慰安婦聴取をおこない本報告書を作成した〔『従軍慰安婦資料集』吉見義明編、大月書店〕〔 Prisoner of War Interrogation Report No. 49.''〕。 日本軍慰安婦の暮らしぶりや待遇などが報告されている。 使用されている軍事郵便局であるアメリカ陸軍郵便局私書箱689番であり、689はインドアッサム州のレドを表し〔 Numerical Listings of APO's,January 1942-November 1947,ARMY POSTAL SERVICE AND STRENGTH ACCOUNTING BRANCHES, AGO 〕、報告はレド捕虜収容所で作成されたことを示す。 1942年に日本軍がビルマ公路を遮断したため、連合軍はレドから中国の雲南省昆明までレド公路を建設した。1944年8月10日に、ビルマの戦いのミイトキーナ(現在のミッチーナー)陥落後の掃討作戦において朝鮮人慰安婦20名と慰安所経営者であった日本人夫婦2名の捕虜が捕獲され、レド捕虜収容所には1944年8月15日に到着した。 尋問場所はレド捕虜収容所で、尋問期間は1944年8月20日から9月10日で、報告者はアレックス・ヨリチ(依地〔秦1999,p126〕)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本人戦争捕虜尋問レポート No.49」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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