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米津常春[よねきつ つねはる]
米津 常春(よねきつ つねはる/じょうしゅん)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。松平氏(徳川氏)の家臣。米津勝信(勝政、道寿と号する)の嫡男。徳川十六神将の一人に数えられる。 == 生涯 == 三河国碧海郡米津(現在の愛知県西尾市)出身。米津氏は古くから松平氏譜代の家臣で、父勝信と共に松平広忠、元康に仕えた。 天文18年(1549年)、今川義元に従属していた松平氏の下で織田信秀の三河国拠点である安祥城を攻めた際には、城主織田信広を捕らえる活躍を見せた。また、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの際には、三河衆の先鋒として、弟の政信や子の正勝と共に従軍。元康の丸根城、大高城攻めに加わった。三河一向一揆の際にもいち早く岡崎城に駆けつけて常に家康と共にあり、鎮圧に力を尽くした。 その後、永禄7年(1564年)の三河赤坂合戦で渡辺守綱と共に槍を振るって活躍したとの記述を最後に常春の記録は途絶え、慶長17年(1612年)に89歳で没したという記録が残るのみである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米津常春」の詳細全文を読む
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