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米津田政[よねきつ ただまさ]
米津 田政(よねきつ ただまさ(たまさ、みちまさ))は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将・旗本。初代江戸北町奉行を務めた。 米津政信の四男として三河国碧海郡米津(現在の愛知県西尾市)に生まれる。米津家は三河以来の譜代の名門であり、徳川家康の小姓として小牧・長久手の戦い、小田原征伐に歴戦。家康の関東入部に従い、武蔵都筑郡、上総印旛郡、香取郡、埴生郡内で5000石を領した。その後徳川秀忠の御使番に列し、会津征伐や上田合戦に参加。江戸幕府開幕直後の慶長9年(1604年)より没するまでの20年と8ヶ月の間、江戸北町奉行を務めた。奉行在職中、江戸市中において笠などの被り物で顔を隠す事を厳禁とする法令を発布、これに抵触し夜に笠を被り町内を歩いている者を斬罪に処するなど、市中の治安維持に峻厳な態度を以って臨んだ。最上騒動では島田利正などと共に最上領接収の使者を務めた。 寛永元年(1625年)、63歳で死去。家督は長男の田盛が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米津田政」の詳細全文を読む
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