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米澤 菊二(よねざわ きくじ、1894年 - 1983年)は日本の外交官。第二次世界大戦中、在ポルトガル日本公使館の館長を務めていた際に、EUの父クーデンホーフ=カレルギー伯の亡命を手助けし、クーデンホーフ=カレルギー伯から自著『Totaler Staat – Totaler Mensch』(1937年)の英語版『The Totalitarian State against Man』を贈呈されたエピソードが知られる〔; 〕。この贈呈本は戦後鳩山一郎による翻訳、翻訳者鳩山による友愛の提唱、鳩山の孫鳩山由紀夫・鳩山邦夫らによる民主党の結成、由紀夫の東アジア共同体提唱へとつながる。 パン・ヨーロッパ運動指導者クーデンホーフ=カレルギー伯はナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーを公然と批判し、伯はまたユダヤ差別反対論者でもある。彼のパン・ヨーロッパ運動は潰され、彼はヨーロッパ脱出を試みるが、リスボンで何かと彼を手助けをしたのが米沢館長であった〔。1940年8月にクーデンホーフ=カレルギー伯は米国亡命に成功し、日本は1940年9月に日独伊三国同盟を締結した。 == 著書 == * 『印度國民會議派ノ内部情勢ニ就テ』米澤菊二講演 1939年10月 東亞研究所(編) * 『大東亜戦争と印度の地位』国防経済協会 1942年(講演) * 『日葡交通の起原』葡萄牙叢書 第二輯 1942年10月(遡及奥付の編者: 米澤菊二) * 井野碩哉(述)、米澤菊二(述)『大東亞戰爭と農林政策. 獨立の關頭に立つ印度』 1942年 東洋經濟新報社出版部(經濟倶樂部講演 ; 昭和17年 第26輯) * 『大東亞戰爭と印度の地位 : 米澤菊二講演』國防經濟協會、1942年6月 * 『日満議定書調印記録』 1969年11月 (霞関会編『霞関会会報』pp. 15-16) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米澤菊二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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