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米田 慶三郎(よねだ けいざぶろう、1943年1月13日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 桃山学院高等学校から社会人野球のPL教団を経て、電気化学工業で活躍。1967年、1968年の都市対抗に連続出場。1968年にドラフト3位で当時の大洋ホエールズに入団。 同年、イースタン・リーグで本塁打王と打点王の2冠を獲得。主にショートを守り、守備の名手として活躍。米田に加え、ファーストの松原誠、セカンドのジョン・シピン、サードのクリート・ボイヤーが結集した、1970年代前半の大洋内野陣の守備は鉄壁と言われた。一方、打者としての米田は非力で、8番などの下位で打つ事が多かった〔そのため、「守りはいいが攻撃はダメ」ということから『自衛隊』の愛称で呼ばれた。〕。その後、打撃を売りに鳴り物入りで入団した山下大輔の成長とともに米田の出場機会も減少し、1979年に現役引退。 その後は大洋・横浜の守備コーチや二軍監督、球団フロントを歴任。2000年に退団。 退団後、横浜市青葉区で少年野球の指導を行う。2005年、SOLA沖縄専門学校硬式野球部監督に就任。 2008年、東北楽天ゴールデンイーグルス二軍育成コーチ(野手担当)に就任。2010年まで務めた。 横浜コーチ時代の1995年、やくみつるの4コマ漫画「やくやくスポーツランド」において、ドラマ「古畑任三郎」のパロディが描かれ、この米田を古畑に見立てたストーリーがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米田慶三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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