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米田雄郎[よねだ ゆうろう]
米田雄郎(よねだ ゆうろう)は、大正・昭和前期の歌人。1891年(明治24年)11月1日に奈良県にて生まれた。1959年(昭和34年)死去。歌人の米田登は次男。 == 略歴 == 1891年に生まれたのち、18歳より短歌を始める。1911年(明治44年)前田夕暮の白日社に入社し、自由律及び定型律短歌を作る。1917年(大正6年)には歌集「日没」を発行。 その後、1918年(大正7年)滋賀県東近江市石塔町の極楽寺住職となり、綺田町の画家野口謙蔵と生涯の親交を結ぶ。 1930年(昭和5年)には歌集「朝の挨拶」を、1935年(昭和10年)には歌集「青天人」を発行した。前田夕暮没後、1952年(昭和27年)「好日」を創始。1956年(昭和31年)歌集「忘却」を発行。1959年(昭和34年)68歳で没。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米田雄郎」の詳細全文を読む
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