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粛子内親王[しゅくし] 粛子内親王(しゅくし(すみこ)ないしんのう、建久7年(1196年) - 薨年不詳)は、鎌倉時代前期の皇族。後鳥羽天皇第2皇女、母は源信康の女・兵衛督局(または丹波局とも)。土御門天皇朝の伊勢斎宮。高辻斎宮と号した。 正治元年12月24日(1200年)、異母兄土御門天皇の即位に伴い斎宮に卜定。翌2年(同じく1200年)5月26日、諸司へ初斎院入り。同年9月27日、野宮に入る。建仁元年(1201年)9月9日、伊勢へ群行(長奉送使は権中納言藤原公房)。元久元年(1204年)6月23日、准三宮。承元4年(1210年)11月、土御門天皇譲位により在任11年で退下。建暦元年(1211年)4月19日帰京、その後の消息は不明。 斎宮を退下した際に粛子内親王が詠んだ和歌1首が、『新続古今和歌集』に残る。 == 参考文献 ==
*山中智恵子『続斎宮志』砂子屋書房、1992年。 ISBN 4-7904-9221-4 *芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「粛子内親王」の詳細全文を読む
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