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粛親王豪格 : ウィキペディア日本語版
ホーゲ
ホーゲ(豪格、 、転写:Hooge、1609年 - 1648年)、の太宗ホンタイジ(皇太極)の長男。母は継妃ウラナラ氏(烏拉那喇氏)。
武勇に優れ、征戦で度々武功をあげた。崇徳元年(1636年粛親王(fafungga cin wang)に封じられる。ホンタイジの死後、皇位継承の有力候補であったが、同じく有力候補だったドルゴンを推す勢力と対立した。清朝が分裂することを避けるため、ホーゲ、ドルゴン双方とも皇位に就かず、ホーゲの異母弟である8歳のフリン(福臨)が即位した(順治帝)。
明滅亡後も抵抗を続けていた大順軍の残党の首領・張献忠は清軍の圧迫を受けて成都を捨て、1646年10月20日塩亭県鳳凰山でホーゲの軍に射殺された。
順治帝の時代に摂政王として権勢をふるったドルゴンは、政敵ホーゲを失脚させるため誣告を利用してホーゲの爵位を剥奪、幽禁した。順治五年(1648年)獄中で死去。
順治帝はドルゴンの死後、ホーゲの冤罪を晴らし名誉を回復させ、息子フシェオ(Fušeo、)に親王位を継がせ、一方ドルゴンの爵位を剥奪した。は武で、粛武親王と称される。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホーゲ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hooge (prince) 」があります。



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