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粛軍演説[しゅくぐんえんぜつ] 粛軍演説(しゅくぐんえんぜつ)は、1936年(昭和11年)5月7日に帝国議会の衆議院で斎藤隆夫が行った演説。「粛軍に関する質問演説」ともいう。 ==概要== 寺内寿一陸軍大臣に対する質問演説。「革新」の実体の曖昧さを突き、広田内閣の国政改革の大要の質問を行った後、軍部革正(粛軍)を軍部に強く要請すると同時に議会軽視の傾きのあった軍部への批判演説である。
苛も立憲政治家たる者は、国民を背景として正々堂々と民衆の前に立って、国家の為に公明正大なる所の政治止の争を為すべきである。裏面に策動して不穏の陰謀を企てる如きは、立憲政治家として許すべからざることである。況や政治圏外にある所の軍部の一角と通謀して自己の野心を遂げんとするに至っては、是は政治家の恥辱であり堕落であり、(ここで拍手)又実に卑怯千万の振舞であるのである。 斎藤の演説は、軍部批判にとどまらず、軍部に擦り寄っていく政治家に対しても、強烈な批判を浴びせている。 この演説は1時間25分に及ぶ長演説となった。 斎藤は、『回顧七十年』で「都下の大新聞はいずれも第一面全部にそれぞれ大文字の標題を掲げ、私の演説中の粛軍に関する速記を満載して、議会未曽有の歴史的大演説であると激賞した」 といくつかの報道を紹介している。〔『回顧七十年』「粛軍に関する質問演説」 より。〕そして
「私は死すとも、この演説は永くわが国の憲政史上に残ると思えば、私は実に政治家としての一大責任を果したる心地がした」 と感想を述べている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「粛軍演説」の詳細全文を読む
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