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粟屋元通[あわや もとみち] 粟屋 元通(あわや もとみち、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。通称は弥三郎、受領名は縫殿允、備前守。父は粟屋元宗(粟屋元秀の子)。弟に粟屋(豊島)就信。子に元定、堅田元慶。 == 生涯 == 天文17年(1548年)の備後国神辺城攻めに出陣。天文24年(1555年)から始まる防長経略にも出陣して、下松への侵攻、須々万沼城の戦いで戦功を挙げた。後に周防国岩国の代官も務め、元亀3年(1572年)の毛利氏掟内でも年寄衆として確認できる。宇喜多氏との戦いにも参加し、桂就宣らとともに備中国飯山城の守将となった。城下の宝妙寺(当時は法明寺)阿弥陀堂に天正9年巳5月吉日付の当時の落書きが残されている。 毛利元就の勧請によって創建された鳴石山八幡神社を天文2年(1533年)に再建。その際に寄進したと思われる獅子頭が現存している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「粟屋元通」の詳細全文を読む
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