翻訳と辞書
Words near each other
・ 粟屋利江
・ 粟屋剛
・ 粟屋勝久
・ 粟屋好美
・ 粟屋憲太郎
・ 粟屋敏信
・ 粟屋景雄
・ 粟屋氏
・ 粟屋芳美
・ 粟屋親忠
粟屋謙
・ 粟屋駅
・ 粟屋駅 (芸備鉄道)
・ 粟山
・ 粟山 (新潟市)
・ 粟山ひで
・ 粟山博
・ 粟山明
・ 粟山秀
・ 粟岳高弘


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

粟屋謙 : ウィキペディア日本語版
粟屋謙[あわや けん]

粟屋 謙(あわや けん、1883年明治16年)3月21日 - 1938年昭和13年)4月2日)は、日本の文部官僚滝川事件当時の文部次官山口県下関市長府出身。長府藩報国隊を組織した野々村勘九郎の孫。
==経歴==
旧長府藩士、教員・粟屋平一の長男として東京で生まれる。豊浦中学第三高等学校を経て、1907年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業し大学院に進む。同年7月、内務省に入省し東京府属となる。同年11月、文官高等試験に合格。以後、内務属、茨城県事務官を歴任。
1911年5月、文部省に転じ文部書記官兼文部省参事官に就任。1913年、宗教局が内務省から文部省に移管されたのを機に、宗教法制定に尽力。名古屋高等商業学校校長事務取扱、文部省宗教局長、同実業学務局長、同専門学務局長等を経て、1927年~29年、1931年~34年文部次官。1932年国民精神文化研究所初代所長(代行)。1934年恩賜財団愛育会の設立に文部次官として参画。従三位勲二等。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「粟屋謙」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.