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粟生 隆寛(あおう たかひろ、1984年4月6日 - )は、日本のプロボクサー。千葉県市原市出身。第31代WBC世界スーパーフェザー級王者。第40代WBC世界フェザー級王者。2階級制覇王者。習志野高校卒業。帝拳ボクシングジム所属。 コンバーテッドサウスポー。卓越したボクシングセンスを誇る天才肌ボクサー。絶妙なタイミングで放つ左カウンターを最大の武器とする。 == 経歴・人物 == 元ボクサーだった父広幸の指導の下、3歳からボクシングを始める。5歳から水泳も習い始め、小学校入学前に4泳法(クロール・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ)すべてをマスターした〔粟生隆寛 nikkansports.com 〕。小学生の時に学校の課題で「将来の夢」をテーマとした作文を書いた時には、文章は「ボクシングで世界チャンピオンになりたい」とだけ書いて、余白には大きくWBCの世界チャンピオンベルトの絵を書いていた。 習志野高校在学中に、史上初のアマチュア高校6冠を達成。高校卒業と同時に帝拳ボクシングジムに入門。2003年9月6日にプロデビューし、デビューから3年半後の2007年3月3日に日本フェザー級王座を獲得。さらに、2009年3月12日にはWBC世界フェザー級、2010年11月26日にはWBC世界スーパーフェザー級王座を獲得し、日本人7人目の2階級制覇を果たしている。 帝拳ジムの同門で、元世界2階級王者であるホルヘ・リナレスは友人であり良きライバルでもある。 また、元世界2階級王者長谷川穂積は兄貴分のような存在であり、よく一緒に合同合宿を行ったり長谷川の自宅に遊びに行くなどしている。 世界初挑戦の後、再挑戦・獲得に至るまでの5か月間に、首周りは基礎練習で1.5cm増強されていた〔粟生1.5センチ首太! 打たれても大丈夫 日刊スポーツ 2009年3月10日閲覧〕。 実弟の竜太も2005年11月に帝拳からプロボクサーとしてデビューしたが、4勝1敗の戦績で2007年に引退した 〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「粟生隆寛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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