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粟田口良教[あわたぐち よしのり]
粟田口 良教(あわたぐち よしのり)は鎌倉時代中期の公卿。藤原良教とも〔「二条良教」とする場合もあるが、二条教良と混同しているのではないかと考えられる。二条教良は関白二条良実の子であるが、良教は近衛家庶流の出身であり、良教の父基良も「葉川殿」と称されたことはあっても「二条」と称されたことはない。生きた時代が重なっていること、共に従一位に叙せられていることなどが混同の理由ではないかと考えられる。〕。従一位、大納言、兵部卿。父は権大納言基良、母は従三位皇太后宮大夫藤原隆雅の娘。 == 文芸の家系 == 良教の祖父、粟田口大納言忠良は普賢寺関白近衛基通の異母弟である。歌人として知られる藤原顕輔の娘を母とする忠良は、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に69首の和歌が入首して歌人として名をなした。忠良には権大納言藤原実国の娘との間に基良が、権大納言二条定能の娘との間に衣笠家良が生まれた。良教の父基良も歌人として知られているが、叔父に当たる家良は『新勅撰和歌集』以下の勅撰和歌集に118首が入首し、『続古今和歌集』の撰者にも選ばれた実力を持つ。 藤原定家は家良と共に『続古今和歌集』撰者となった九条基家よりも家良の方を評価していたようであるが〔野中和孝・山縣正幸『衣笠家良の生涯(上)生誕から内大臣致仕まで』〕、摂関家庶流でありながら内大臣に任ぜられ共にライバル関係にあった家良と基家は歌人としての評価による内大臣昇進と見ることができる。こうした家系に生まれた良教は、笛の師としての評価から従一位に叙せられるのである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「粟田口良教」の詳細全文を読む
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