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粟田女王[あわたじょおう] 粟田女王(あわたじょおう/あわたのおおきみ、生年不詳 - 天平宝字8年5月4日(764年6月7日))は、奈良時代の皇族・女官・歌人。正三位。 出自不詳だが、初叙が従四位下〔『続日本紀』〕であることから天皇の三世王(皇曽孫)と推察される。 養老7年(723年)1月、従四位下に初叙される。天平11年(739年)1月、従四位上に昇叙される〔この時聖武天皇が中宮に御して授位を行ったとある。(『続日本紀』)〕。天平16年(794年)、左大臣橘諸兄が自邸に元正上皇を招いた宴において河内女王(天武天皇孫)らと参席し歌を詠んだ(『万葉集』18-4060)。天平20年(748年)3月、正四位上に昇叙される。天平宝字5年(761年)6月、光明皇太后の周忌斎会に奉仕し従三位に昇叙され、その後正三位に進む。同年10月、保良宮遷都に伴い、県犬養夫人(県犬養広刀自)と共に稲4万束を賜わる。同8年5月4日に薨去。 『万葉集』に1首の歌が載る。 *月待ちて家にはゆかむ我が挿せるあから橘影に見えつつ(18-4060)〔左注に「右件歌者、在於左大臣橘卿之宅肆宴御歌并奏歌也」とあり、「左大臣橘卿」(橘諸兄)の邸で催された宴に列席したときに詠んだ歌。天平20年(748年)に田辺福麻呂が越中で大伴家持に伝誦し、記録された歌。〕 == 脚注 ==
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