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糸満市(いとまんし)は、沖縄本島の最南端に位置する市である。 == 概要 == 沿岸部の糸満地区の住民は、「サバニ」と呼ばれるくり舟に乗り南洋各地へ出漁した糸満漁民で知られ、男は追込漁、女は漁行商に従事していた。漁業以外にも、内陸部では畑作を中心とした農業、畜産も盛んである。また那覇市に近く、近年は人口が増加し、都市化が著しい。戦後出漁海域が沖縄周辺に限られたが、1982年には大型船用の糸満漁港が完成、水産加工工場を立地するなど商工業の一中心として発達している。 伝統工芸に、琉球ガラス村に代表されるガラス工芸(琉球ガラス)や漆器がある。旧暦5月4日の糸満ハーレー(市内では糸満の他に喜屋武、名城地区でも行われる。他市町村はハーリーという)船競漕の海神祭、旧暦8月15日の大綱引きは五穀豊穣・無病息災を願う行事である。 市の南部の旧三和村一帯は沖縄戦最大の激戦地で、ひめゆりの塔、健児の塔などが建立し、その周辺は沖縄戦跡国定公園に指定されている。 「糸満」の地名の由来について人類学者の金関丈夫はフィリピンからインドネシアにかけて見られる地名の命名規則(接頭語に「イ」「ディ」あるいは「ヅィ」をつけ語尾に「アン」をつける)からオーストロネシア語族の言語に由来するのではないかという説を唱えている〔『旅の民俗学』宮本常一著、P.82〕。また、琉球王国時代に8人のイギリス人が漂着したことから英語の「eight man(エイトマン)」がなまったものだとする説が、もしくはエジプト遠征中のナポレオン・ボナパルトが糸満漁師を発見して、彼らを「East Man」と呼んだことから、それがなまって糸満へと変わったという説もあるが〔沖縄の民話 〕、事実かどうかは不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「糸満市」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Itoman, Okinawa 」があります。 スポンサード リンク
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