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手鋸である糸鋸を電動にしたものが糸のこ盤(Scroll Saw)である。材料を置くテーブルを傾けて、傾斜切りも出来る。糸鋸盤や糸ノコ盤の書き方名称もある。JISB0114 木材加工機械-用語では、名称「糸のこ盤」、慣用語は「ミシンのこ」となっている。ミシンのこと呼ばれるのは、初期の糸のこ盤が足踏み式であった事による。 ブレードを換えることにより、木材だけでなく薄い鉄板やプラスチックも切断出来る。複雑な曲線を切ったり、切り抜き文字や透かし模様の精密なクラフトをする場合に糸のこ盤は最適である。糸ノコに比べ糸ノコの弓からノコ刃までの距離を「ふところ」というが、卓上電動工具である糸のこ盤は、太い腕状のアームで支えているので「ふところ」が手動工具の糸鋸に比べ大きく取れる。一般的に40センチメートルであるが、30センチメートルから60センチメートルの製品がある。ストローク数は、300回/分から1700回/分であり、切屑を飛ばす送風ブロアー・ノコ刃の速度調節機能が付いている製品が多い〔『DIY工具選びと使い方』58頁59頁〕。 == 歴史 == 糸のこ盤の起源は諸説あるが、人力の手動糸のこの時代から、動力駆動へ、そして現在の電動糸のこ盤へと進化してきた。 *糸のこ盤に関する最初に記録された特許は、1829年にM'Duffに付与された。Register of Artsと、Journal of Patent Inventions によると1829年12月2日に、M'Duff氏がイギリスのLondon Mechanics’ Institutionに働くメンバーによって発明される最高の機械に対するドクターフェローのAnnual賞を与えられた記録がある〔The Early History of the Scroll Saw 〕。 *1500 年代にドイツの職人は、狭い鋸刃を製造する方法を開発した。ブール(Boulle)という名のフランスの労働者は、複雑なデザインを切るためにこれらの刃を保持するフレームを開発した。このビュールのこぎり(Buhl saw)と呼ばれているのは〔The New Scroll Saw Handbook著者:Patrick Spielman・37頁 〕、現在のフレットソー:en:Fretsawと糸鋸:en:Coping sawに類似している〔The Early History of the Scroll Saw 〕〔著者:キャサリン・ライアン(Kathleen Ryan) 〕。 *1834年のハウ(Elias Howe)の特許の機械は手で動き、そして針は左右に動いた。アイザックシンガー(Isaac Singer)の機械はフット・ペダルで動き、そして針は上下に動いた。初期の糸のこ盤は、これら2つのアイディアを採用した〔Victorian-era Innovation: The Alameda Sun newspaper(2008年7月17日) The Indispensable Scroll Saw 〕。 *1860年代までには、最初の機械動力式糸のこ盤は、足で動かす方式、手動クランク方式またはペダル方式がアメリカ合衆国で現れ始めた〔The Early History of the Scroll Saw 〕。 *ウィリアムドーン(William Doane)は、1863年にscroll saw millの特許USPTO特許No.38471 を応用した。1873年にヘンリービックフォード(Henry Bickford)・ウイリアムドブソン(William Dobson)とアイザック・ハード(Isaac Hird)も、糸のこの特許USPTO特許No.147913 を申請した〔Victorian-era Innovation: The Alameda Sun newspaper(2008年7月17日) The Indispensable Scroll Saw 〕。 *1873年に、マーヴィンE.ウェラー(Marvin E. Weller)は、ジグソーの改善の特許USPTO特許No.143650 をとった。しかしウェラーの発明は、ジグソーの改善ではなく、テーブルを持っている糸のこ盤の発明であった〔Victorian-era Innovation: The Alameda Sun newspaper(2008年7月17日) The Indispensable Scroll Saw 〕。 *糸のこ盤の初期のモデルは、constant tension sawと呼ばれ1874年にドイツのヘルムート・アベル(Helmut Abel)によって発明された。クランクで動く糸のこ盤は、1921年にシカゴのカール(Carl Moberg)によって発明された。現在の電動糸のこ盤は、このモデルに基づき1930年代後期に開発された〔〕。 *1885年10月18日に、特許庁はW.Fと、ジョン・バーンズ社(John Barnes Co.)Barnes company足踏み駆動式糸のこ盤カタログ に糸のこ盤の発明にUSPTO特許No.328,377 を授けた〔Victorian-era Innovation: The Alameda Sun newspaper(2008年7月17日) The Indispensable Scroll Saw 〕。 *1920年代には、電気モーターを動力源とした糸のこ盤が発明された。例えば、EXcalibar Scroll Saw〔〕。 *1923年に、DELTA MachineryのTautzは世界初の糸のこ盤「American Boy,(アメリカンボーイ)〔POPSCI 1924 December 148頁 " DELTA American Boy,"記事 〕」を発明した〔DELTAの歴史 〕。それは8インチ12インチのサイズで手動ハンドル回転式であったが、これが電動糸鋸への道を開いた〔POPSCI 1928 January 106頁「DELTA American Giant記事」 〕。 *1927年のバーネス(Barnes)電動糸のこ盤は、24インチふところと7インチのブレードと1/4馬力のモーターである。Deltaの糸のこ盤は、テーブルが鉄製で他メーカーの木製テーブルに比べ優れていた〔The New Scroll Saw Handbook著者: Patrick Spielman 48頁 〕。 *デルタ(Delta Manufacturing Company)の1930年バージョン24インチUSPTO特許No.RE19501 は、頑丈な腕製の糸のこ盤として人気があった〔The New Scroll Saw Handbook著者: Patrick Spielman 49頁 〕。 *1974年にドイツのヘルムート・アベル(Helmut Abel)がヘグナー糸のこ盤の安定した緊張装置の特許権をとったUSPTO特許No.3878876 。この糸のこ盤は、1800年代のポピュラーバージョンになった。ミズーリのR.B Industriesは1982年に糸のこ盤市場に参入した米国の最初の会社である〔The New Scroll Saw Handbook著者: Patrick Spielman 51頁 〕。 *1980年代に、カナダの発明者トム・ソマーヴィル(Tom Sommerville)は、「二重の平行したリンク」のドライブ・システムを設計し、商標名エクスキャリバー(Excalibur)で商品化した〔The New Scroll Saw Handbook著者: Patrick Spielman 51頁 〕。 *1980年代後期と1990年代には、安価なベンチ-トップ糸のこ盤DELTA USPTO特許No.D292713 の参入ラッシュとなった。これら速度一定の鋸は、刃クランプを備えているが、それは使用が難しくスパナと特別な保持具を必要とした〔The New Scroll Saw Handbook著者: Patrick Spielman 52頁 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「糸のこ盤」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Scroll saw 」があります。 スポンサード リンク
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