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紀伊勝浦駅(きいかつうらえき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字築地六丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅である。外房線の勝浦駅と区別するため駅名に「紀伊」を冠する。 紀伊半島の双方の付け根(名古屋と大阪)から等距離の駅で、名古屋駅からの特急「(ワイドビュー)南紀」と、天王寺駅からの特急「くろしお」の双方が乗り入れしている。 == 歴史 == 当駅は1912年、新宮鉄道が三輪崎駅から当駅までを開通させるのと同時に勝浦駅として開業した。当時は新宮鉄道の終着駅であった。 * 1912年(大正元年)12月4日 - 新宮鉄道の勝浦駅(かつうらえき)として開業〔。 * 1934年(昭和9年)7月1日 - 新宮鉄道が国有化、紀勢中線の駅となる〔。紀伊勝浦駅(きいかつうらえき)に改称。 * 1935年(昭和10年)7月18日 - 紀勢中線が当駅から下里駅まで延伸〔。 * 1940年(昭和15年)8月8日 - 紀伊木本駅(現在の熊野市駅)から和歌山駅(現在の紀和駅)までが紀勢西線とされ、当駅もその所属となる〔。 * 1959年(昭和34年)7月15日 - 亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)との間が紀勢本線となり、当駅もその所属となる〔。 * 1977年(昭和52年)11月 - 駅舎改築。 * 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継〔。 * 2004年(平成16年)11月 - 「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界遺産に登録されたことを記念してこ線橋の通路を那智大社の社殿をイメージした内装に改築。 * 2011年(平成23年)10月 - これまで直営駅であったが出・改札と案内業務のみ子会社のジェイアール西日本メンテックへ業務委託。 * 2015年(平成27年)3月2日 - エレベーターやスロープ・誘導警告ブロックなどを設置してバリアフリー化〔藤原弘(2015年3月3日). “JR紀伊勝浦駅:バリアフリー化 那智勝浦・勝浦小生17人、記念式典でダンス披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)〕。 == 駅構造 == 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅である。2番線が下り本線、3番線が上り本線である。単式の1番線は新宮方面へ折り返す列車のみが使用できる配線になっており、名古屋駅から当駅まで乗り入れてくるJR東海の特急南紀や新宮駅 - 当駅間の普通列車などが使用している(普通列車は2番線折り返しもあり)。ホーム上には特急南紀乗務員用の詰所が設けられている。トイレは、設置されている。 1977年(昭和52年)に完成したコンクリートの2階建て駅舎が線路東側にある。1番線の単式ホームとは接しておらず各ホームから駅舎へ跨線橋が延びている。駅としての設備はすべて2階にあり、1階は観光案内所などが入っている。駅の入口も2階にあり、そこから駅の表と裏に階段が延びている。那智勝浦町の代表駅として観光客の利用も多く、駅前にはタクシーが常駐している。 新宮駅が管理する業務委託駅で、JR西日本のグループ会社であるジェイアール西日本メンテックの契約社員が当直勤務で一人常駐しているが一日に数回程度、列車の入替え作業が行われるため、出・改札と案内業務をジェイアール西日本メンテックの契約社員が担当し列車の入替え作業は駅運転業務の資格がないと取り扱えないのでこちらについては、JR西日本の社員が担当している。みどりの窓口の設置駅であり、駅レンタカー業務も行っている。当駅には、自動体外式除細動器(AED)が設置されており、駅弁の販売もある。 その他1番ホームにはマグロの模型が、駅前広場には佐藤春夫の「秋刀魚の歌」碑がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀伊勝浦駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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