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紀元前281年[きげんぜん281ねん]
紀元前281年は、ローマ暦の年である。当時は、「ルキウス・アエミリウス・バルブラとクィントゥス・マルキウス・ピリップスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元473年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前281年と表記されるのが一般的となった。 ==できごと==
===小アジア===
*リディアで勃発したコルペディオンの戦いは、アレクサンドロス3世の後継を争うディアドコイ戦争の最後の戦いとなった。トラキアとマケドニア王国の王リュシマコスとアナトリア、シリア、フェニキア、ユダヤ、バビロニア、イランの支配者セレウコス1世の間で戦われた。セレウコス1世はこの戦いでリュシマコスを殺害した。 *コルペディオンの戦い後、リュシマコスの未亡人アルシノエ2世は、ギリシア北部のカッサンドレイアに逃げ、半弟のプトレマイオス・ケラウノスと結婚した。プトレマイオス・ケラウノスは、彼女の子供のうち2人を殺したが、3人目は逃げることができた。アルシノエ2世は、今度はエジプトのアレクサンドリアに逃げた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀元前281年」の詳細全文を読む
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