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紀元前315年は、ローマ暦の年である。当時は、「クルソールとピロが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元439年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前315年と表記されるのが一般的となった。 == できごと == === マケドニア帝国 === * かつてのアレクサンドロス3世(大王)の帝国のうちアジア地域のディアドコイ(後継者)となっていたアンティゴノス1世(アンティゴノス朝の開祖)が、スーサの財宝を手に入れ、サトラップ(太守)セレウコス1世(セレウコス朝の開祖)の領域であるバビロンに侵入した。セレウコスはエジプトの太守プトレマイオス1世(プトレマイオス朝の開祖)を頼って逃亡し、トラキアの太守リュシマコスやマケドニア王国の摂政カッサンドロス(アンティパトロス朝の開祖)と同盟を結んだ。 * ポリュペルコンがペロポネソス半島へ逃亡し、そこで拠点を維持しながら、かつての同盟者を失っていたアンティゴノスと新たに同盟関係を結んだ。 * アンティゴノスは、カッサンドロスのマケドニア勢をギリシアの島々から駆逐し、エーゲ海の島々の都市と「島民同盟」を結ん、ギリシア本土への侵攻に備えた。アンティゴノスと結んだロドスの町は、必要とされた艦船を供給した。 * カッサンドロスによってマケドニア王国の港町テッサロニキが開かれ、その妻テッサロニカの名が町に付けられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀元前315年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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