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紀元前327年[きげんぜん327ねん]
紀元前327年は、ローマ暦の年である。当時は、「プロスルスとスカプラが共和政ローマ執政官に就任した年」ないし「レントゥルスとフィロが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元427年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前327年と表記されるのが一般的となった。 == できごと ==
=== マケドニア帝国 ===
* アレクサンドロス3世(大王)が、北部インドへ侵攻した。再度ヒンドゥークシュ山脈を越えるところで、大王は軍を二手に分けた。軍勢の半分と輜重隊は、いずれも騎兵指揮官であったヘパイスティオンとペルディッカスに委ねられ、カイバル峠を進み、残りの半分は、攻城戦の装備を伴い、大王自らが率いて、山々を越えて北進した。大王軍はスワート (Swat) 地方やガンダーラを通って進んだが、その際に、インダス川から数キロ西にあった難攻不落のアオルノス (Aornos) 砦の攻略が行なわれた。 * 大王とアリストテレスの関係は、アリストテレスの甥で歴史家であったオリュントスのカリステネス (Callisthenes of Olynthus) が反逆罪で処刑されたことを契機に悪化した。カリステネスは、遠征の年代記を記すために大王に同行していた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀元前327年」の詳細全文を読む
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