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紀元前405年は、ローマ暦の年である。当時は、「バルバトゥス、カピトリヌス、キンキンナトゥス、メドゥリヌス、イウルス、マメルキヌスが護民官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元349年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前405年と表記されるのが一般的となった。 == できごと == === ギリシア === * アルギヌサイの海戦 (Battle of Arginusae) でスパルタを破ったアテナイの艦隊は、提督に再任されたリュサンドロスが率い、ヘレスポントス(ダーダネルス海峡)へ向かっていたスパルタ艦隊を追撃した。コノン提督が率いていたアテナイの艦隊は、マルマラ海で戦われたアイゴスポタモイの海戦において、リュサンドロス率いるスパルタ艦隊によって壊滅させられ、コノンはキプロス島に逃げた。 * スパルタ王パウサニアスは、アテナイに攻城戦を仕掛け、リュサンドロスの艦隊は、ペイライエウスを封鎖した。この作戦によって、ヘレスポントス経由での穀物の供給路は絶たれ、アテナイは兵糧攻めにされた。 * スパルタを中心としたペロポネソス同盟勢がアテナイを包囲する中、アテナイの指導者テラメネス (Theramenes) はリュサンドロスとの取引を試みた。テラメネスが3か月アテナイを離れていた間に、アテナイの食料事情は悪化し、飢餓状態が広がった。結局、テラメネスは、スパルタ側と降伏の条件を定める交渉団の代表となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀元前405年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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