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紀元前410年は、ローマ暦の年である。当時は、「マメルキヌスとウオルススが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元344年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前410年と表記されるのが一般的となった。 == できごと == === ギリシア === * 20隻の艦隊を率いたアテナイの将軍テラメネス (Theramenes) とトラシュブロスは、アルキビアデス率いるアテナイの主力艦隊に協力し、ミンダロス (Mindarus) 率いるスパルタ艦隊と、それを支援していたキュジコス近郊のアケメネス朝ペルシア帝国の地上軍キュジコスの海戦 (Battle of Cyzicus)反乱を鎮圧した。これによってアテナイはボスポラス海峡の支配権を確立し、黒海地方のボスポロス王国からの穀物の補給路を確保した。 * アルキビアデスは、クルソポリス(、Chrysopolis:現在のユスキュダル)にテラメネスが率いる守備隊を置き、黒海方面から来るすべての船に十分の一税を課した。この税収によってアテナイは「五千人の政治」体制から脱し、伝統的な統治制度を全面的に再構築することができた。アテナイでは民主主義が復活した。新たなデマゴーグ(煽動的民衆指導者)として登場したクレオポン (Cleophon) が、スパルタからの講和の申し入れをはねのけた。 * 寡頭制支持派が、コルキュラ(、Corcyra:現在のケルキラ島)で起こした反乱は失敗に帰した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀元前410年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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