|
紀元前498年は、ローマ暦の年である。当時は、「クィントゥス・コロエリウス・シクルスとティトゥス・ラルキウス・フラウスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元256年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前441年と表記されるのが一般的となった。 ==できごと== ===ギリシア=== *アレクサンドロス1世はアミュンタス1世の後を継いでマケドニア王国の王になった。 *アテナイとエレトリアは、イオニアからの請願に応えてペルシアに対抗するためにエフェソスに軍を送った。ここでイオニア軍と合流し、リディアのサトラップであるアルタフェルネスの治めるサルディスに侵攻した。アルタフェルネスは軍の大半をミレトスの包囲に送っており不意を突かれたが、要塞に逃げ込むことができた(イオニアの反乱)。ギリシア軍は要塞を攻めることはできなかったが、サルディスの町を略奪し、焼き払った。 *湾まで退却したところで、ギリシア軍はアルタフェルネスの率いるペルシア軍と出会い、エフェソスの戦いでこれを破った。 *カウノスとカリアもビュザンティオンやダーダネルス海峡の町に続いてペルシアに対して反乱を起こした。また、オネシルスが非ペルシア系の兄弟であるゴルゴスからサラミス王の座を奪うと、キプロスも反乱に加わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀元前498年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|