翻訳と辞書
Words near each other
・ 紀南新聞
・ 紀南病院
・ 紀南病院 (田辺市)
・ 紀南病院周参見分院
・ 紀南看護専門学校
・ 紀南農協
・ 紀南農業協同組合
・ 紀南高等学校
・ 紀友則
・ 紀古佐美
紀名虎
・ 紀咋麻呂
・ 紀和大会
・ 紀和大水害
・ 紀和水害
・ 紀和町
・ 紀和町ふるさと公社
・ 紀和索道
・ 紀和鉄道
・ 紀和鉄道A1形蒸気機関車


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

紀名虎 : ウィキペディア日本語版
紀名虎[き の なとら]
紀 名虎(き の なとら、生年不詳 - 承和14年6月16日847年7月31日))は、平安時代前期の貴族中納言紀勝長の子。官位正四位下刑部卿
== 経歴 ==
弘仁13年(822年正六位上から従五位下に叙せられる。淳和朝では昇進が停滞するが、仁明朝に入ると、承和2年(835年)従五位上次いで正五位下、承和5年(838年)正五位上、承和8年(840年従四位上、承和10年(842年正四位下と急速に昇進を果たし、この間に掃部頭備前美濃中務大輔を歴任した。この急速な昇進は娘の種子(仁明天皇更衣)・静子文徳天皇更衣)を後宮女官として仕えさせたことによるものとされる。とりわけ静子は文徳天皇の第一皇子・惟喬親王を儲けており、文徳天皇は右大臣藤原良房の外孫である皇太子・惟仁親王(のち清和天皇)が成人するまでの間、惟喬親王に皇位を嗣がせようとしたが、これは実現しなかったともいう〔『吏部王記』承平元年9月4日条〕。承和11年(843年刑部卿に任ぜられる。承和14年(847年)6月16日卒去。最終官位は散位正四位下。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「紀名虎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.