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紀訶多麻呂[き の かたまろ] 紀 訶多麻呂(き の かたまろ、生年不明 - 天武天皇8年2月3日(679年3月20日))は、日本の飛鳥時代の人物である。名は堅麻呂とも書く。姓(カバネ)は臣。系譜は明らかでないが、倭国守・紀麻呂岐の子で、子に岑足・猪麻呂がいたとする系図がある〔鈴木真年『諸系譜』第1冊 紀朝臣(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)。〕。冠位は小錦下、贈大錦上。 壬申の乱(672年)で大海人皇子(天武天皇)側に立ち、翌673年に造高市大寺司。 == 経歴 == 紀氏は飛鳥時代の有力氏族。天武天皇2年(673年)に、美濃王とともに、紀臣訶多麻呂は造高市大寺司に任命された。高市大寺は大安寺の前身である。訶多麻呂の位はこのとき小錦下であった。 天武天皇8年(679年)2月3日に紀臣堅麻呂は死んだ。壬申の年の功によって大錦上の位が贈られた。壬申の乱について記す『日本書紀』巻28、いわゆる「壬申紀」に訶多麻呂の名は見えないが、この死亡記事によって大海人皇子側で参加したことが知られる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀訶多麻呂」の詳細全文を読む
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