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紀州一揆[きしゅういっき]
紀州一揆(きしゅういっき)は、慶長20年(1615年)、日高郡、名草郡を中心として紀伊国全域で発生した一揆。定着した名称はなく、熊野一揆や日高一揆とも呼称される。 == 概要 == 紀州一揆は大坂夏の陣に連動する形で発生しており、浅野氏の『浅野考譜』によれば「大野治長の部下が紀州へ潜入、浅野長晟出陣後に和歌山城を占領すべく一揆を扇動。また、和歌山城占領後は背後より浅野軍を攻め立て、挟撃する計画であった」と記されている。 当時、摂津国・河内国・和泉国の計70万石を抱えていた豊臣氏は東西決戦にあたり、隣接する37万石の浅野氏をまず潰しておくという戦略をたてていた。豊臣氏の思想と、紀州に住む土豪たちが抱え蓄積していた不満〔歴史人口学・経済学者の速水融も指摘している通り、浅野氏は元来27万石だった紀州国を慶長検地によって領内で半独立的に活動していた地侍を叩き伏せ、37万石へとしている。〕の利害が一致し、一揆というかたちで具現されたと考えられる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀州一揆」の詳細全文を読む
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