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紀 有友(き の ありとも、生年不詳 - 元慶4年(880年))は、平安時代前期の貴族、歌人。名は有朋、有明とも表記される。下野守・紀本道〔「紀氏系図」『続群書類従』巻第168所収〕あるいは右兵衛督・紀興道〔「中里氏系」『宇都宮神官系図』所収〕の子。官位は従五位下・宮内少輔。 == 概要 == 承和11年(844年)内舎人となる。仁寿2年(852年)に兵部少尉、貞観10年(868年)に武蔵介に任ぜられる。その後、三河介・摂津権介と地方官を歴任し、元慶3年(879年)に従五位下・宮内少輔に至った。元慶4年(880年)卒去。 歌人として活躍し、『古今和歌集』には2首が入る。子の友則も歌人である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀有友」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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