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紀洋丸 : ウィキペディア日本語版
紀洋丸[きようまる]

紀洋丸(きようまる)は、浅野総一郎の主導で日本最初の国産航洋型石油タンカーとして計画された船。起工後に設計変更され貨客船として竣工、東洋汽船に属して南米への移民輸送に用いられた。後に本来の用途であったタンカーへ改装され、1935年に廃船となるまで使用された。
なお、浅野物産が、1935年にノルウェー船籍タンカー「ヴィーグリード」(Vigrid)を取得し、「紀洋丸」と命名している。太平洋戦争中に日本海軍に徴用されて特設給油船として行動中、1944年1月4日-5日、アメリカ潜水艦「ラッシャー」により撃沈された〔Cressman, Robert J., ''The Official Chronology of the US Navy in World War II'' , Annapolis: MD, Naval Institute Press, 1999, p. 427.〕。
== 建造 ==
東洋汽船創業者の浅野総一郎は、客船「天洋丸」型など画期的な大型船整備を推進するかたわら、石炭に代わる燃料として石油の将来性にも早くから着目していた〔松井(1995年)、4頁。〕。浅野は、石油の輸入精製事業を計画し、イギリスから「相洋丸」など3隻の大型タンカーを購入するとともに、日本でも2隻の大型タンカーを建造することにした。こうして計画された国産船の1隻が「紀洋丸」である。
「紀洋丸」の建造は、「天洋丸」の建造経験のある三菱造船所へ発注され、1907年明治40年)6月に起工された〔松井(1995年)、5頁。〕。日本ではそれまで「虎丸」のような小型タンカーしか建造例がなく、およそ1万総トンの本船は国産初の航洋タンカーとなるはずであり、世界的に見ても当時最大級のタンカーであった〔。基本構造は、船尾機関型で船体中央に船橋を配置する姿で、当時の大型タンカーに確立されつつあるデザインであった。建造費用については造船奨励法の適用を受けている〔。松井(1995年)によると、1908年(明治41年)10月3日にタンカーとして進水した〔松井(1995年)、6頁。〕。
ところが、「紀洋丸」の起工後、国内油田の保護を図った日本政府は、輸入原油に対する関税を引き上げた〔。これにより浅野は、石油事業の中止に追い込まれ、本船に続く2隻目の国産タンカーは建造を取り消された。タンカーとしての運航見込みを失った「紀洋丸」は、イギリス製の「武洋丸」とともに移民用の貨客船へ用途変更されることになり、石油タンクを貨物室に改装し、デリックポスト5組を増設するなどの設計変更を受け〔、1909年(明治42年)10月に進水した〔。貨客船に珍しい船尾機関型の船体にタンカーの面影が残る。乗客定員のうち3等船客が多くを占めている点は移民船の特徴である〔。その後、艤装を経て竣工した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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