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紀田上 : ウィキペディア日本語版
紀田上[き の たうえ]
紀 田上(き の たうえ/たがみ、宝亀元年(770年) - 天長2年4月13日825年5月4日)は、平安時代前期の貴族大納言紀船守の三男。官位従四位下尾張守。
== 経歴 ==
延暦22年(803年従五位下に叙せられる。桓武朝では内廐助相模を歴任する。平城朝に入ると大同元年(806年)従五位上・相模守、大同3年(808年正五位下に叙任される。
大同4年(809年)相模守の任期を終えて帰京するが、平城上皇に従い平城京に移る。大同5年(810年)正五位上次いで従四位下に続けて昇叙される。同年9月に発生した薬子の変に際しては、6日に嵯峨天皇の信頼が篤い坂上田村麻呂藤原冬嗣とともに平城京の造宮使に、10日には尾張守に任ぜられるが、結局平城天皇側で活動したらしく、変平定後の15日には佐渡権守に左遷されている。
天長元年(824年)平城上皇の崩御に伴い罪を赦されて帰京するが、天長2年(825年)4月13日卒去。享年56。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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