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紀藤閑之介 : ウィキペディア日本語版
紀藤閑之介[きとう かんのすけ]

紀藤 閑之介(きとう かんのすけ、1869年〈明治2年〉11月7日 - 1961年昭和36年〉9月28日 )は、日本政治家実業家。第3・6代山口県宇部市
== 略歴 ==
紀藤家は萩藩主毛利氏の永代家老福原氏の家老の家柄である。閑之介は1869年(明治2年)11月7日、紀藤宗介(後の宇部共同義会初代会長〔『うべ歴史読本』 p.65〕)の長男として山口県長門市に生まれた〔〔『うべ歴史読本』 p.84〕。
第三高等中学校(現・京都大学教養部)を卒業〔した後、宇部村に戻った閑之介は「村内の情報を村民に伝えることが村人の民度を向上させ、ひいては国の繁栄に通じる」と考え、1912年(明治45年)、宇部時報(現・宇部日報)を発刊した〔〔『報道八十年』 p.557〕。
その後宇部市会議員となった閑之介は宇部市会副議長、同議長を経て、1928年(昭和3年)7月1日、宇部市長(第3代)に就任した〔〔。就任後まもなく執り行われた昭和天皇即位の礼の記念事業として、同市内の神原公園に福原越後の像を建立した〔〔このとき建立された像は、第二次世界大戦中に金属供出の対象となっており現存しない。〕。
翌年の1929年(昭和4年)4月20日に市長職から一度退任したものの、1935年(昭和10年)12月7日には再び同市長(第6代)に就任し、1938年(昭和13年)7月29日まで在任した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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