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紀麻路 : ウィキペディア日本語版
紀麻路[き の まろ]
紀 麻路(き の まろ、生年不詳 - 天平宝字1年?(757年))は、奈良時代公卿御史大夫紀大人の子〔『公卿補任』による。しかし同書の中でも疑問が呈されている。『尊卑分脈』において紀麻呂の子とする紀依麻呂と同人と想定する説もある(宝賀461 )〕。官位従三位中納言
== 概要 ==
養老4年(720年従五位下への叙位を受ける。天平6年(734年)従五位上。天平12年(740年)正月に正五位下に昇叙されると、同年10月の藤原広嗣の乱の最中に後騎兵大将軍に任官、さらに12月正五位上に続けて昇叙、天平14年(742年)には従四位下聖武朝の後半より急速に昇進し、天平15年(743年参議に任ぜられ公卿に列した。議政官として民部卿南海道鎮撫使右衛士督を兼ねる一方、天平18年(746年)従四位上、天平20年(748年正四位上と引き続き順調に昇進した。なお、この間の天平17年(745年)には甲賀宮の留守役を務めている。
天平勝宝元年(749年孝謙天皇即位に伴い、従三位中納言に叙任される。のち、式部卿大宰帥を歴任する。天平勝宝9年(757年)3月に孝謙天皇光明皇太后藤原豊成藤原仲麻呂らと画策して皇太子道祖王を廃した。その後『続日本紀』に麻路の消息に関する記載がないことから、まもなく薨去したと考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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