翻訳と辞書
Words near each other
・ 紅イモ
・ 紅カン
・ 紅カン駅
・ 紅ショウガ
・ 紅ソウ類
・ 紅テント
・ 紅ハム駅
・ 紅ミュージアム
・ 紅リサーチ
・ 紅ルテニア
紅ルーシ
・ 紅ロシア
・ 紅一点
・ 紅一色
・ 紅三四郎
・ 紅三葉
・ 紅世の徒
・ 紅丸
・ 紅五類
・ 紅亜里


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

紅ルーシ : ウィキペディア日本語版
紅ルーシ[べにるーし]

紅ルーシウクライナ語:';ポーランド語:''Ruś Czerwona'';ラテン語:''Ruthenia Rubra'')は、ウクライナ西部の歴史的地名である。西欧の文献におけるガリツィア地方の別称、あるいは旧ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の領域を指す概念である。主な市町はリヴィウハールィチベルズホルムペレームィシュリ。赤ルーシとも。ポーランド語:''Ruś Czerwona'';ラテン語:''Ruthenia Rubra'')は、ウクライナ西部の歴史的地名である。西欧の文献におけるガリツィア地方の別称、あるいは旧ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の領域を指す概念である。主な市町はリヴィウハールィチベルズホルムペレームィシュリ赤ルーシとも。
== 概要 ==
「紅ルーシ」という地名が最初に見られるのは、ルーシ側の史料ではなく、15世紀以降の西欧側の記録である。当初、この地名の対象とする範囲が曖昧なもので、「黒ルーシ」に代わって「白ルーシ」の反対語として用いられたと考えられる。初めて「紅ルーシ」は、1420年ウリリフ・ヴォン・リヘンターリ著『コンスタンツ公会議年代記』〔Ulrich Richental. ''Chronik des Konstanzer Konzils'', Ausg. Anton Sorg, Augsburg 1483. 〕に見られるが、ポーランド王国が支配するガリツィア地方でなく、ヴォルィーニ地方を始め、リトアニア大公国が支配するルーシの全領域をさす用語となっている。1459年ヴェネツィア人フラ・マウロが著した世界全図では、「紅ルーシ」はキエフリャザニなどを含むリトアニアの南方の隣国として描かれているが、1543年に出版されたフランスの世界全図『歴史の海』〔''La Mer des Hystoires'', Paris, Nicolas Couteau, 1543.元の地図は1491年リオンで作成されたという。〕において、「紅ルーシ」は「Rubea Russia」として旧ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の領域、ガリツィア地方とヴォルーニ地方を示している。さらに、1566年ドイツ人カスパル・ヴォペリが著した地図では「紅ルーシ」は「Rote Reussen」としてヴォルィーニ地方の北東部からベラルーシの南西部まで広がる地域をさしている。
17世紀半ば、ポーランドの歴史学者シモン・スタロヴォールスキの研究により、「紅ルーシ」はポーランド王国が支配するルーシ人の居住地帯、特にルーシ県と連想されるようになる。それ以後、「紅ルーシ」は歴史書や地誌などの研究書でガリツィア地方の雅称として定着する。
「紅ルーシ」の語源は中世西欧の地理思想にあったものの、19世紀以後のポーランド人学者の一部は、その語源をポーランドの地名に求めっている。彼らによると、「紅」(チェルヴォナ)は、中世ヴォルィーニ地方に存在した「チェルヴェン」〔ウクライナ語:';ポーランド語:''Czerwień''。〕という町の名に由来するという。チェルヴェンは、ポーランドとルーシの国境にあったチェルヴェンの諸都市と呼ばれる地域の中心都市であり、両国の争いの種であったとされる。;ポーランド語:''Czerwień''。〕という町の名に由来するという。チェルヴェンは、ポーランドとルーシの国境にあったチェルヴェンの諸都市と呼ばれる地域の中心都市であり、両国の争いの種であったとされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「紅ルーシ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.