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文革墓群[ぶんかくぼぐん] 文革墓群(ぶんかくぼぐん)は、中国重慶市沙坪壩区沙坪公園内西南にある現存する唯一の文化大革命期武闘犠牲者の集団墓地。2009年12月15日、重慶市市級文物保護単位に指定された。指定時の公式名称は「紅衛兵墓園」だが、実際の埋葬者は紅衛兵(学生)よりも工場労働者の方が多く、一般には「文革墓群」の名称が通用している。 == 墓群成立の背景 ==
重慶での武闘は、1966年12月造反派と“保皇派”(実権派擁護派)の間の衝突が最初とされるが、この時はまだ死者はなかった。その後1967年2月に造反派は奪権後の権力分配や旧幹部評価などをめぐって分裂し、それぞれ“8・15”派、“反到底”派と名乗った。“8・15”は1966年8月15日に重慶で初めて当局の意を受けない造反派が決起し街頭デモをした日を記念したものであり、“反到底”は徹底造反の意味である。両派は共に相手側を毛主席と毛沢東思想の敵とみなした。武闘はエスカレートし、まず長矛、大刀など“冷兵器”が使われるようになった。両派武闘による最初の死者の発生は、1967年6月とされる。7月7日、“反到底”派は最初に自動小銃を使って“8・15”派メンバー数名を殺傷したという。これ以後、武闘には“熱兵器”が用いられた。国民党政権時代の兵器工場重慶集中移転や共産党政権での工業内陸移転により、重慶には多数の軍事工場があり、武器の確保は容易であった。武闘が最も盛んであった1967年8月には両派は戦車、装甲車、迫撃砲、高射砲、快速艇などで武装し、飛行機とミサイル以外のあらゆる武器が使用されたといわれる。両派の武闘により、大量の死者が発生した。巻き添えになった市民も多かった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「文革墓群」の詳細全文を読む
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