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納家 米吉(なや よねきち、1914年7月15日 - 1941年4月3日)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手、外野手)。 == 来歴・人物 == 1914年に大阪府で生まれた。浪華商時代は甲子園に合計4度出場(第9回選抜中等学校野球大会、第10回選抜中等学校野球大会、第19回全国中等学校優勝野球大会、第11回選抜中等学校野球大会)。昭和9年春の選抜では準決勝で享栄商・近藤金光と二日間にわたる投げ合いの末4対2で下し、同校初の決勝進出。決勝戦では東邦商(現・東邦高校)の立谷投手との投手戦となり、0対0のまま延長戦に突入。延長10回自らのランニング本塁打で先制するも、走塁の疲れで裏に2点を奪われサヨナラ負けを喫した。この大会で納家は本塁打賞・優秀選手賞・ファインプレー賞を受賞した。 浪華商を卒業後は法政大学野球部へ進学。秋季シーズンに南海軍へ入団するも9試合に出場したのみで、間もなく兵役で戦地に赴くことになった。1941年にインドネシアのバターンで戦死。享年26。 東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑にその名が刻まれている〔鎮魂の碑に祭られた選手一覧(五十音順) 〕。 ==詳細情報== === 年度別打撃成績 === === 背番号 === *8 (1938年) == 脚注 == == 関連項目 == * 大阪府出身の人物一覧 * 法政大学の人物一覧 * 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「納家米吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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