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純仁親王 : ウィキペディア日本語版
小松宮彰仁親王[こまつのみや あきひとしんのう]

小松宮彰仁親王(こまつのみや あきひとしんのう、弘化3年1月16日1846年2月11日) - 明治36年(1903年2月26日)は、日本皇族陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将大勲位功二級。仁和寺宮嘉彰親王と同一人物。
伏見宮邦家親王第8王子である。妃は、旧久留米藩有馬頼咸の長女頼子
== 経歴 ==

安政5年(1858年)、仁孝天皇猶子となり、親王宣下を受け純仁親王を号し、仁和寺第三十世の門跡に就任した。慶応3年(1867年)、復飾を命ぜられ仁和寺宮嘉彰(にんなじのみや よしあきら)親王と名乗る。明治維新にあっては、議定、軍事総裁に任じられた。戊辰戦争では、奥羽征討総督として官軍の指揮を執った。
明治3年(1870年)に宮号を東伏見宮に改める。明治7年(1874年)に勃発した佐賀の乱においては征討総督として、また、同10年(1877年)の西南戦争にも旅団長として出征し乱の鎮定に当たった。明治14年(1881年)に維新以来の功労を顕彰され、家格を世襲親王家に改められる。翌明治15年(1882年)に、宮号を仁和寺の寺域の旧名小松郷に因んで小松宮に改称した。
親王は、ヨーロッパ君主国の例にならって、皇族が率先して軍務につくことを奨励し、自らも率先垂範した。明治23年(1890年)、陸軍大将に昇進し、近衛師団長参謀総長を歴任、日清戦争では征清大総督に任じられ旅順に出征した。明治31年(1898年)に元帥府に列せられる。
国際親善にも力を入れ、明治19年(1886年)にイギリスフランスドイツロシア等ヨーロッパ各国を歴訪した。また、明治35年(1902年)、イギリス国王エドワード7世戴冠式明治天皇の名代として臨席した。
社会事業では、日本赤十字社大日本水産会大日本山林会大日本武徳会高野山興隆会などの各種団体の総裁を務め、皇族の公務の原型を作る一翼を担った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Prince Komatsu Akihito 」があります。



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