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紙ふうせん(かみふうせん)は、1974年(昭和49年)に結成された日本のフォークグループである。近畿地方を中心に息の長い活動を続けている。 == 概説・歴史 == フォークグループ赤い鳥のメンバーであった平山泰代(1947年(昭和22年)3月28日 - 、広島市生まれ)と後藤悦治郎(1946年(昭和21年)4月29日 - 、兵庫県尼崎市生まれ)は、同グループ解散直前に結婚し、解散後に夫婦デュオ「紙ふうせん」として活動を始めた。 二人は高校時代同級生(兵庫県立尼崎北高等学校)であったが、ほとんど交流がなく、大学入学後に再会した。ちなみに、平山は武庫川女子大学、後藤は京都外国語大学である。 1977年(昭和52年)には「冬が来る前に」でメジャーヒットを飛ばし、紙ふうせんの代表曲となった。曲を自作するだけではなく、フォークの原点を探ろうと、民謡等各地の伝承歌の取材を続けており、近年は合唱曲としても有名な赤い鳥時代の「翼をください」、「竹田の子守唄」、「赤い花白い花」(芹洋子の歌でもヒットした)、紙ふうせん以降は「いかつり唄」「霧にぬれても」なども有名な他、1979年(昭和54年)にスタートした朝日放送テレビの情報番組『おはよう朝日です』の主題歌「朝(あした)の空」は、15年間にわたって使用された。 2005年(平成17年)にはNHK教育TVの『趣味悠々〜紙ふうせんのあの素晴らしいフォークをもう一度』の講師として出演。後藤悦治郎は蕎麦通としても知られ、また、熱心な阪神タイガースファンで関西に移って一番良かったのは後楽園球場から遠くなったことだと音楽番組の中で冗談を飛ばしている。西宮市甲子園口に在住で関西テレビ『よ〜いドン!』で月亭八光が訪問している。 なお「冬が来る前に」の大ヒットで、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』(1978年(昭和53年)2月13日放送)に出演した時は、サプライズで大村崑夫婦から花束をもらっていた。またTBSテレビ『ザ・ベストテン』(1978年3月9日放送)では、この日8位にランクされたのが唯一の出演となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紙ふうせん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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