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細川斉樹 : ウィキペディア日本語版
細川斉樹[ほそかわ なりたつ]

細川 斉樹(ほそかわ なりたつ)は、肥後熊本藩の第9代藩主。
== 生涯 ==
寛政9年(1797年)1月13日、宇土藩細川家から熊本藩第8代藩主となった細川斉茲の三男として生まれる。幼名は六之助、のち父・斉茲の1字を受けて初名の茲樹〔『大名細川家の至宝 文武の歴史と雅の文化・永青文庫名品展』(編:山梨県立美術館)掲載系図より。〕(しげたつ)を名乗っていた。長兄・立之は生家の宇土藩主家を継ぎ、次兄・斉詮も廃嫡されたため、熊本藩世子となり、文化7年(1810年)11月10日、父の隠居により家督を継ぎ、父や次兄と同じく将軍・徳川家斉より偏諱を授与されて斉樹と改名する(家斉は斉樹の義兄(正室・紀姫の兄)にあたる)。
藩政においては、島田嘉津次を大奉行として登用し、倹約を主とする藩財政再建を目指した。これにより一時は10万石にも及ぶ蓄えを築くに至ったが、斉樹自身が文政9年(1826年)2月12日に30歳の若さで他界してしまったことから、結局、藩財政再建は失敗に終わった。死後、宇土藩主であった甥(長兄・立之の子)の立政(のち斉護と改名)が養子となって跡を継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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