翻訳と辞書
Words near each other
・ 細川氏綱の乱
・ 細川永一
・ 細川治年
・ 細川泉一郎
・ 細川洞松院尼
・ 細川涼一
・ 細川淳矢
・ 細川清
・ 細川清氏
・ 細川満久
細川満之
・ 細川満元
・ 細川満国
・ 細川潤一
・ 細川潤次郎
・ 細川澄之
・ 細川澄元
・ 細川瀏
・ 細川為純
・ 細川玉


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

細川満之 : ウィキペディア日本語版
細川満之[ほそかわ みつゆき]
細川 満之(ほそかわ みつゆき、生年不詳(1352年?) - 応永12年12月15日1406年1月5日))は、南北朝時代武将守護大名伊勢備中守護。
細川氏の一族で父は細川頼春、兄に頼之詮春頼有頼元などがいる。子に頼重(よりしげ、嫡子)、満久阿波細川義之の養子)、基之(もとゆき、頼之の養子、和泉下守護家の祖で頼久の父)などがいる。
生年は享年から逆算すると正平7年/文和元年(1352年)であり、元服時に3代将軍正平22年/貞治6年(1367年)から就任)の足利義満から偏諱(「満」の字)を受けていることから考慮しても矛盾はない。尚、1352年という年は父の頼春が討死した年でもある(従って生誕月日によっては頼春の死後に生まれた可能性もある)。
義満の将軍就任の前年に兄の頼之が管領に任じられて幕政に携わるようになると、頼有らと共に領国である四国の経営を任される。元中9年/明徳3年(1392年)頃に備中守護代として備中に入部したらしい。翌明徳4年(1393年)には備中守護となり、以後満之の家系が守護職を世襲したことで、後に備中守護家と称される。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「細川満之」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.