翻訳と辞書
Words near each other
・ 細川真之
・ 細川真奈
・ 細川知栄子
・ 細川知正
・ 細川碧
・ 細川神社
・ 細川秀勝
・ 細川稙国
・ 細川立之
・ 細川立則
細川立孝
・ 細川立政
・ 細川立礼
・ 細川組
・ 細川絢加
・ 細川綱利
・ 細川線
・ 細川繁氏
・ 細川美樹
・ 細川義之


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

細川立孝 : ウィキペディア日本語版
細川立孝[ほそかわたてこう]

細川 立孝(ほそかわ たつたか)は、江戸時代前期の武将細川忠興の四男。
== 生涯 ==
はじめ僧籍に入り立充(りゅういん)と名乗った。寛永9年12月、晩年の父忠興に溺愛され、兄忠利熊本藩に移封されると、隠居の父忠興とともに八代城に入城した。忠興は北の丸に立孝は本丸に住した。また、還俗して立孝(たつたか、「孝」は祖父・藤孝の1字)と名乗る。寛永11年12月、鶴と八代にて婚儀を執り行う。寛永15年(1638年)1月4日に島原の乱に出陣する。寛永16年(1639年)将軍に拝謁後、還俗した。忠興は、自分の隠居料八代7万石を立孝に与えようとしていたが、正保2年、江戸表で没し、同年後を追うように立孝も没した為、翌年遺児宮松(行孝)を宇土に移し、立孝の内分領の宇土3万石が与えられ、宇土藩が立藩した。
兄の忠利の子孫である肥後細川氏の嫡流は細川治年で途絶え、立孝の子孫が宇土藩から熊本藩に入って本家を継いだため、熊本藩9代藩主細川斉茲から現在の当主細川護熙(元首相)までの歴代当主は立孝の子孫である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「細川立孝」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.