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細川興誠[ほそかわ おきざね] 細川 興誠(ほそかわ おきざね、貞享4年(1687年) - 享保13年9月20日(1728年10月22日))は、常陸谷田部藩の嫡子。大納言姉小路公量の四男。正室は細川興栄の娘。子は細川興虎(長男)。通称は主馬。 == 生涯 == 父・公量の母方の祖母(高辻遂長室)が谷田部藩初代細川興元の娘である血縁もあってか、養子入り以前に興栄の許可を取って細川主馬と名乗っている。 宝永6年(1709年)、第4代藩主・細川興栄の嫡子・興貞が早世したため、興栄の娘婿となって谷田部藩嫡子の座に就いた。公家の子弟が武家に養子入りするのは珍しいケースである。 しかし正徳5年(1715年)、病弱を理由に廃嫡された。廃嫡の理由は表向きは病弱だが、酔って家臣を斬殺したためとされる。代わって長男の興虎が嫡子となった。享保13年(1728年)に42歳で死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「細川興誠」の詳細全文を読む
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