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細川興貫[ほそかわ おきつら]
細川 興貫(ほそかわ おきつら)は、常陸谷田部藩の第9代藩主。後に下野茂木藩主となる。 == 生涯 == 天保3年(1832年)12月、常陸谷田部藩の第8代藩主・細川興建の長男として生まれる。嘉永5年(1852年)9月6日、父の隠居により家督を継ぎ、従五位下・玄蕃頭に叙位・任官する。藩政では凶作が続いて百姓一揆も頻繁に起こり、藩財政も苦しかったといわれる。 慶応4年(1868年)3月、家臣119名を率いて上京し、京都警護を務めて新政府に恭順の意を示した。明治2年(1869年)6月22日に版籍奉還で谷田部知藩事となる。明治3年(1870年)12月、藩庁を茂木に移して茂木藩を再立藩し、明治4年(1871年)2月8日に茂木知藩事に任じられた。直後の7月14日、廃藩置県により知藩事を免職された。 明治17年(1884年)の華族令で子爵となった。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に選ばれて、明治37年まで二期務めた。明治40年(1907年)9月11日、東京府浅草の今戸で死去した。享年76。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「細川興貫」の詳細全文を読む
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