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細川頼之[ほそかわよりゆきの]
細川 頼之(ほそかわ よりゆき)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての武将、政治家。室町幕府管領。細川氏の本家京兆家の当主。幼名は弥九郎。はじめ武蔵守、後に相模守〔時野谷(1979)p.555〕。 足利氏の一門である細川氏の武将として、阿波、讃岐、伊予など四国地方における南朝方と戦い、観応の擾乱では幕府方に属す。管領への就任で幕政を指導し、幼少の足利義満を補佐して半済令の施行や南朝との和睦などを行う。天授5年/康暦元年(1379年)の康暦の政変で失脚するが、その後は赦免されて幕政に復帰する。 == 家系 == 父は細川頼春で、母は黒沢禅尼。妻は持明院保世の娘で、室町幕府3代将軍足利義満の乳母となっているため、義満と同年代の実子が早世していると考えられている。 細川氏を斯波氏、畠山氏と並ぶ室町幕府管領の地位に高めたほど、養子に迎えた異母弟の頼元と共に室町時代における、細川氏繁栄の礎として知られる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「細川頼之」の詳細全文を読む
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