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細見綾子[ほそみ あやこ] 細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 1997年9月6日)は、兵庫県出身の俳人。松瀬青々に師事、「倦鳥」を経て「風」同人。夫は沢木欣一。 == 経歴 == 1907年(明治40年)、父・細見喜市、母・とりの長女として兵庫県氷上郡芦田村、現・兵庫県丹波市青垣町東芦田に生まれる〔丹波市教育委員会公式サイト「細見綾子の世界」 〕。実家は江戸時代から名主をつとめた素封家〔杉橋陽一 「細見綾子」 『現代俳句大事典』 506-508頁。〕。 1919年、柏原高等女学校に入学、寮生活を送る。1923年、日本女子大学校国文科入学。1927年(昭和2年)、同大学を卒業、同時に東京大学医学部助手の太田庄一と結婚〔。1929年、夫を結核で失い、秋に肋膜炎を発病したため帰郷。佐治町の医師でもあった俳人・田村菁斎の勧めで俳句を始め、松瀬青々の俳誌「倦鳥」に入会、その年に投句し初入選する。 1934年、大阪府池田市に転地療養。1937年、青々が没し、その遺稿集の清書・編集に携わる〔。1942年、後の夫沢木欣一と知り合い、沢木が出征した際には句集の草稿を預かり出版に尽力した。1946年、沢木の「風」創刊に同人として加わり、1947年、沢木と結婚。「風」編集兼発行人を務めた。肋膜炎の完治後、1956年に東京都武蔵野市に転居〔〔。 1965年、母校である芦田小学校の校歌の作詞を手掛ける〔「細見綾子と芦田小学校の校歌 」『丹波市立 芦田小学校』。〕。1952年、第2回茅舎賞(現・現代俳句協会賞)受賞、1975年、句集『伎芸天』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、1979年、句集『曼陀羅』他の業績により蛇笏賞を受賞、1981年、勲四等瑞宝章を受章。 1997年9月6日、90歳で死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「細見綾子」の詳細全文を読む
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