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経度の歴史 : ウィキペディア日本語版
経度の歴史[けいどのれきし]

本項では、経度にまつわる歴史について記述する。
経度という概念は緯度とともに古代から存在したが、経度の測定は緯度と比べて難しく、実際にある地点の経度を正確に求めることができるようになるまでは長い年月を要した。とりわけ海上で経度を求めることは困難をきわめたが、クロノメーターの開発により解決された。その後、ロンドングリニッジ子午線を基準(本初子午線)とする経度表記が世界中で採用された。
== 古代 ==

地図を経線緯線で区切って、その座標で各地点の位置を表すという発想は古くから存在した。古代に地球の大きさを求めた地理学者エラトステネスは、シェネ(アスワン)とアレクサンドリアを結んだ線を基準として、それと平行に数本の直線を引いた地図を作成した〔織田(1973) pp.32-33〕。ただしこの線の間隔は現在の地図のように等間隔ではない。また、基準としたシェネとアレクサンドリアも現在の観点からいえば同一子午線上にはなく、およそ3度ほどずれている〔〔ウィルフォード(2001) p.49〕。その後、紀元前の天文学者であるヒッパルコスは、地球を360分割した経線と緯線で表し、さらにその分割した1つの区間(1度)を60、さらにその1分を60で表すといった、現在のような等間隔の経緯線網を使った方法を考案した〔石橋(2010) p.24〕。
このヒッパルコスの方法を使って、プトレマイオスは実際に経度を記入した地図を作成した〔ソベル(2010) p.9〕。この地図では、当時世界の最西端と思われていた(現マカロネシア)を子午線として、そこから経度180度までの間に約8,000箇所の経度が記されている〔石橋(2010) p.25〕〔織田(1973) p.38〕。これらの経度は、旅行記などの資料を参考にしてまとめたものであるが、当時は経度を求める技術がまだ確立されていないため、その経度は実際よりも大きく外れたものになっている〔。
また同じ頃、中国でも経度の概念が生まれた。プトレマイオスと同じ時代に活躍した張衡は、地図上に縦横の線を延ばしてその座標で距離を求める方法を考え出した。これは、地図を絹織物に刺繍する際に、縦糸と横糸が交じり合うさまを見て思いついたといわれている〔ウィルフォード(2001) p.57〕。また3世紀になると裴秀も同じように縦横の線で位置を示す方法を提案し、その2つの座標にそれぞれ「経」「緯」という文字をあてた〔ウィルフォード(2001) p.58〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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