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経書(けいしょ)は、儒教でとくに重視される文献の総称。経典(儒家経典)ともいう。 もともとは聖人の著作のみを指すが、後世には意味が拡大され、賢人の著作や言行録、一部の注釈類も経書として扱われるようになった。経書は中国の伝統的な図書分類法である四部分類において大分類の1番目に挙げられている。具体的には戦国以来の六経(楽経は早くに亡び、五経となった)、五経・四書(四書五経を参照)・十三経を指す。また経書の注釈を主とする研究を、経学と呼ぶ。 「経」には織物の「たていと」の意味があり、織布を織るとき、経を固定し、それを基幹として織り上げていくことから、古今を貫通して不動の基幹となる古典をも表すようになったという説が生まれた(『説文解字』に記載)。これにより漢代には、経に対応する緯(よこいと)の「緯書」という文献も作られた。 == 名数 == いくつかの経書をまとめて前に数字をつけて「~経」と称することがある。もっとも基本的なのが六経もしくはそこから楽経を除いた五経である。また三礼と春秋三伝を含めた十三経も著名である。その他にも七経、九経なども分類があるが、七経・九経の指す経書の種類には諸説ある。代表的なものを挙げると以下のようになる。 *六経・五経 - 『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』。戦国時代からのまとめられ方。『楽』は早くに失われ漢代以降、五経の名がおもに使われ、学官に立てられたのも五経博士である。なお後漢以降、隆盛した古文学で六経の順序は『易』『書』『詩』『礼』『楽』『春秋』とされた。唐代には『五経正義』が作られ、ここで五経の内容は『周易』『尚書』『毛詩』『礼記』『春秋左氏伝』となった。 *七経 - 後漢時代、孝が重視されるようになり、五経(『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』)に『論語』と『孝経』が加えられ、合わせて七経とされた。また六経に孝経を足したまとめ方もあり、この七経に対する緯書として七緯が作られた。また、日本における釈奠独自の儀式として、毎回七経を順次1つずつ講義を行う七経輪転講読があった。 *九経 - 唐代の科挙試験において明経科があり、ここでは五経のうち礼経を三礼(『周礼』『儀礼』『礼記』)に、春秋経を三伝(『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』)に分け、他の三経と合わせて九経と称した。 *十二経 - 唐の文宗大和年間(827年~835年)、石経を立てたが、その際に九経に加えて『孝経』『論語』『爾雅』が入れられた。 *十三経 - 宋代、唐の十二経に『孟子』が加えられ、十三経となった。この時代、経書も木版印刷されるようになっていたが、経書と注釈書の注疏が合刻されるようになり、十三経の代表的な注釈書を集めた『十三経注疏』が刊行された。 *四書 - 南宋の朱熹は『礼記』のうち大学篇と中庸篇を取り出して、それぞれ独立した書物とし、これと『論語』『孟子』を合わせて四書と称し、五経を学ぶ前段階として四書の学を提唱した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「経書」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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